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平泉町
県南エリア
国指定重要文化財の野外能舞台がある。
達谷窟毘沙門堂
清衡が平泉に居を構える以前にも、すでにいくつかの寺院が平泉とその周辺に建立されていました。その一つが西光寺です。寺法によれば、坂上田村麻呂が蝦夷(えぞ)平定の際、毘沙門天(びしゃもんてん)の加護を謝して京の清水寺を模して毘沙門堂を建立、鞍馬寺にならって108体の多門天を奉ったのが始まりとされています。蝦夷と田村麻呂に係わる事情は、多くの物語、伝承となり、西光寺の寺伝にも色を添えています。毘沙門堂は2回にわたって焼失し、現在のものは昭和36年に再建されました。
常行堂
この堂は享保17年(1732)、仙台藩主伊達吉村公によって再建されました。堂は宝形造りで須弥壇中央に本尊・宝冠の阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神(またらじん)がまつられています。摩多羅神は慈覚大師が中国から帰国する船の中で感得した神で、阿弥陀如来の化身といわれています。奥殿の扉はふだんは固く閉ざされ、33年に一度、一般に向け開帳されます。祭礼の正月20日は、古式の修法と法楽としての延年の舞が奉納されます。
毛越寺【世界遺産】
天台宗別格本山・毛越寺は山号を医王山といい、慈覚大師によって嘉祥3年(850)に開かれました。 平安時代後期に奥州藤原氏二代基衡公と三代秀衡公が金堂円隆寺、嘉祥寺など壮大な伽藍(がらん)を造営し、その規模は堂塔四十、僧坊五百を数え、わが国無二の霊地と称されました。 その後度重なる災禍に当時の伽藍は惜しくも焼失しましたが、現在大泉が池を中心とする「浄土庭園」と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国より特別史跡、特別名勝の二重指定を受けています。