漁り火イサリビ

宮古市

沿岸エリア

漆黒の海に揺らめくイカ漁の漁火はまるで対岸に町があるかのように見える。闇にきらめく宝石のような明かりと夜空に広がる満天の星は、見る人を幻想的な世界へと誘う。煌びやかに見える明かりは集魚灯でその明かりに集まってきたイカを漁師達が釣り上げている。イカが明かりに集まる習性を利用したこの漁は空が白む早朝まで行われる。釣り上げたばかりのイカは港で水揚げされ各家庭に獲れたての味を届けている。この漁火は8月の中旬から9月の下旬にかけて海岸沿いの高台から見学できる。イカ漁期:8月中旬~9月下旬

住所/所在地
〒027-0052 岩手県宮古市宮町1丁目1−30
入場料金
無し
お問い合わせ
宮古市田老総合事務所産業振興課
電話番号0193-87-2973
FAX番号0193-87-3667
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西塔幸子記念館

西塔幸子は、明治33年、矢巾町白沢で生まれました。実家の大村家は教員一家でしたが、祖先には南部藩砲術指南だった大村治五平という有名な人がいます。又、兄弟親戚にも文学者が多く、幸子は少女時代を豊かな感性を育てる境遇で過ごしました。師範学校を出た幸子は、当時としては珍しかった女教師の道をひたすらに生きました。自分自身も結婚、出産と人間としての重責を負いながら、情熱的に教育に打ちこみ、さらに夜学で地元の青年にも歌劇を教え、地域文化の向上に尽くしました。その傍らで、自己実現のための歌づくりにも没頭し、各方面へ投稿して女流歌人として注目を集めていきます。けれども、幸子が社会的にがんばればがんばるほど、家庭生活には不協和音が生じ、幸子は夢と現実の狭間でジレンマに陥ります。しかし、どんな時でも歌への情熱を捨てず、死の床でも肌身離さなかった歌のノートに綴られた幸子の「生きざま」は死後60年以上を経てますます私たちの胸に迫ってきます。(昭和11年6月22日没 37歳) 西塔幸子の最後の赴任地となった江繋の地に建てられた記念館では、女啄木といわれた薄幸の歌人、西塔幸子の生きざまを紹介しています。

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