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畑鹿子踊躍保存会ハタノシシオドリホゾンカイ

宮古市

沿岸エリア

    どのように地区に伝えられたかは不明であるが、功徳のために躍られており現在畑地区住民により各イベントにより披露されている。現在保存会会員9名と少ないながら小さな集落一体となり伝承・保存活動に取り組んでいる。(大念仏剣舞:仏の功徳を目的とし、念仏や経文を唱えながら、採物を持って踊る。鹿子踊躍:無病息災・五穀豊穣を祈願するもので、鹿子頭をいただき踊る、幕張系鹿子踊りである。)開催日時 地区祭、イベント等

    所在地
    〒027-0300 岩手県宮古市田老
    お問い合わせ
    畑鹿子踊躍保存会会長 畠山清三
    電話番号0193-87-5144

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    西塔幸子記念館

    西塔幸子は、明治33年、矢巾町白沢で生まれました。実家の大村家は教員一家でしたが、祖先には南部藩砲術指南だった大村治五平という有名な人がいます。又、兄弟親戚にも文学者が多く、幸子は少女時代を豊かな感性を育てる境遇で過ごしました。師範学校を出た幸子は、当時としては珍しかった女教師の道をひたすらに生きました。自分自身も結婚、出産と人間としての重責を負いながら、情熱的に教育に打ちこみ、さらに夜学で地元の青年にも歌劇を教え、地域文化の向上に尽くしました。その傍らで、自己実現のための歌づくりにも没頭し、各方面へ投稿して女流歌人として注目を集めていきます。けれども、幸子が社会的にがんばればがんばるほど、家庭生活には不協和音が生じ、幸子は夢と現実の狭間でジレンマに陥ります。しかし、どんな時でも歌への情熱を捨てず、死の床でも肌身離さなかった歌のノートに綴られた幸子の「生きざま」は死後60年以上を経てますます私たちの胸に迫ってきます。(昭和11年6月22日没 37歳) 西塔幸子の最後の赴任地となった江繋の地に建てられた記念館では、女啄木といわれた薄幸の歌人、西塔幸子の生きざまを紹介しています。

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