当サイトを使用することにより、クッキーの設定および使用に同意したことになります。 詳細については、プライバシーポリシーを参照してください。
いわてを知る
特集・モデルコース
アクセス
観光ガイド
教育旅行
賛助会員
観光素材 / 情報
協会について
盛岡市
県央エリア
宮沢賢治が大正6年より盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)在学中に、弟清六や従兄と大沢川原一丁目の玉井家に下宿していた当時使用していた共同井戸。現在も自由に利用できる。
石川啄木歌碑(下橋中学校校庭)
啄木の母校盛岡高等小学校(現:下橋中学校)校庭にある啄木の歌碑。啄木の2年上級で少年時代より晩年まで親交が厚く、堅い友情で結ばれていた金田一京助が啄木の歌を後年書いたもので、昭和52年秋、旧職員有志により建立された。「その昔 小学校の柾屋根に我が投げし鞠 いかになりけむ」
盛岡市遺跡の学び館
盛岡市内の遺跡から発掘調査された土器、石器、陶磁器等の出土品の調査資料を整理収蔵し展示・公開する施設。市内遺跡の分布を示すサイトステーション、縄文時代中期(約5000年前~4000年前)の大館町遺跡発掘調査現場を再現し、復元住居を備えた遺跡ディスカバリー。縄文時代から中世・近世までの出土資料約800点を展示公開する遺跡ライブラリーなどを中心に公開している。他に企画展示室(年1~2回)、体験学習室(土器・石器作り、勾玉作り等)、研修室(講演会、市民講座等)、図書室がある。また、多くの出土遺物が保管される保管展示室、資料整理室の見学も事前申込により可能。
鈴木舎定
盛岡市出身の自由民権運動家。上京しキリスト教学校に学ぶが、板垣退助らの自由民権運動に共鳴し運動家になり、岩手における中心的な存在である「求我社」の勧誘を受けて帰郷。『盛岡新誌』を発刊し、人々へ自由民権運動への参加を呼びかけた。「求我社」と「協同社」を併合して自由党直結の政治結社として、明治16年に自由党最高幹部である常議員となったが、明治17年、盲腸炎のため志半ばに急逝した。