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盛岡市
県央エリア
宮沢賢治が大正6年より盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)在学中に、弟清六や従兄と大沢川原一丁目の玉井家に下宿していた当時使用していた共同井戸。現在も自由に利用できる。
石川啄木歌碑(盛岡城跡公園(岩手公園))
盛岡城跡公園(もりおかじょうあとこうえん)には、有名な「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」の歌碑が立っている。少年時代の啄木が学校の窓から逃げ出してきて、文学書、哲学書を読み、白日の夢を結んだのが盛岡城二の丸。歌碑の文字は金田一京助の書。
石川啄木・若山牧水 友情の歌碑
啄木が晩年もっとも心を許しあい、最後をみとった友人牧水の二人の作品が刻まれた「石川啄木・若山牧水 友情の歌碑」。「教室の窓より遁げて ただ一人 かの城址に寝に行きしかな」(石川啄木)と「城跡の古石垣にゐもたれて 聞くともなき 波の遠音かな」(若山牧水)。
郷古潔
奥州市水沢区出身の実業家。昭和16年に三菱重工業の社長に就任したが、同年に東条英機内閣の内閣顧問に選ばれたため翌年会長となる。戦後、三菱重工業は戦時中兵器を製造していたため、当時郷古は社長として増産に励んでいたのだが、戦犯容疑者として拘留されることを余儀なくされた。出所後公職追放などの処分を受けたが、容疑が晴れ処分が解除されると財界に復帰。業界の様々な役職に就任し、戦後の経済復興に尽くした。