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宮古市
沿岸エリア
源氏の一族である源義里がこの田代に居館を構え、平泉を脱出した義経主従が北へ向かう途中に立ち寄ったといわれています。義里の妻源氏御駒により奉納された鰐口があります。
黒森神楽
黒森神楽は、宮古市山口にある黒森神社の別当が主宰して黒森山を行場とする修験山伏の集団によって伝承されてきたが、現在は宮古市、田老町末前、岩泉町小本などの有志により受け継がれている。修験のカスミ(旦那場)廻りの伝統を神楽巡業によって現代に受け継ぐ数少ない神楽集団であり、舞込み、舞立ち、墓獅子、柱かがり、火伏せ祈祷、身がためなどきわめて重要な儀礼慣行をもち、演目も豊富であることから貴重である。現在は正月明けに黒森神社を舞い立ち1~2ヶ月間巡業する。平成18年に国の重要無形民俗文化財に指定された。
華厳院
華厳院は、閉伊頼基が父・源為朝の菩提を弔うため、為朝の法名から寺の名をとり、根城にお寺を建てたのが始まりといわれています。はじめは天台宗でしたが、その後現在地にお寺を建立してから曹洞宗になりました。1792年に火災にあい本道が焼け落ち、また、大正7年にも火災にあいました。現在の本堂などはその後に再建されたものです。
黒森神社
黒森山は古くから閉伊地方全域で信仰の対象とされてきた霊山で、平安から鎌倉期には神仏混仰の影響を受けて、人の世の菩薩救済の本願所として栄えていた山です。標高311mの山腹は松・杉・モミの茂る昼なお暗い森でおおわれています。文治4年(1188)4月、平泉高館自害の1年前、義経は影武者の杉目行信を残してひそかに平泉を脱出して、この山で3年3ヶ月にわたり「大般若経」を書写し祈願したとの伝説が残っています。「黒森」は「九郎森」から転じた名と言われてします。