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盛岡市
県央エリア
宮沢賢治が大正6年より盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)在学中に、弟清六や従兄と大沢川原一丁目の玉井家に下宿していた当時使用していた共同井戸。現在も自由に利用できる。
橋本八百二
紫波町出身の画家。東京美術大学西洋画科を卒業。昭和5年の帝展に300号の大作『交代時間』を出品・特選となり、以後も連続して特選や推薦に選ばれ続けた。戦後は政界入りして県議会議長を務めた。昭和34年に議員生活を終え、画家としてヨーロッパへ渡り、帰国後に展覧会を開催。昭和50年に盛岡市岩山に自身や友人の作品、バルビゾン派の作品、民芸品など、数々作品を展示した橋本美術館を創設した。(美術館は平成13年閉館している。)
宮沢賢治歌碑(盛岡一高校内)
「生徒諸君に寄せる 諸君はこの颯爽たる 諸君の未来圏から吹いて来る 透明な清潔な風を感じないのか」この詩碑の建つ盛岡第一高等学校は、かつて賢治が学んだ盛岡中学校です。生まれ育った旧家の息苦しさをひととき離れて寮生活や、同世代の友人たちとの交遊は、賢治に大きな解放感をもたらしました。在学中は付近の山々を歩き、多くの書物に親しみました。石川啄木は盛岡中学校の十年先輩に当たっています。
宮沢賢治歌碑(下の橋際)
宮沢賢治が高等農林学校3年の時、弟と下宿していた下の橋際に「ちゃぐちゃぐうまこ」の歌碑が、平成11年に建立された。歌は次の歌を加えて4首、「夜明げには、まだ間あるのに 下のはし ちゃんがちゃんがうまこ見さ出はたひと。」。本格的に文学に打ち込み始めたのもこの頃で、13歳から24歳(高農研究生終了)まで過ごした盛岡での約十年間は、その後の賢治の活動の土台となりました。