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盛岡市
県央エリア
宮沢賢治が大正6年より盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)在学中に、弟清六や従兄と大沢川原一丁目の玉井家に下宿していた当時使用していた共同井戸。現在も自由に利用できる。
郷古潔
奥州市水沢区出身の実業家。昭和16年に三菱重工業の社長に就任したが、同年に東条英機内閣の内閣顧問に選ばれたため翌年会長となる。戦後、三菱重工業は戦時中兵器を製造していたため、当時郷古は社長として増産に励んでいたのだが、戦犯容疑者として拘留されることを余儀なくされた。出所後公職追放などの処分を受けたが、容疑が晴れ処分が解除されると財界に復帰。業界の様々な役職に就任し、戦後の経済復興に尽くした。
新渡戸稲造碑
市民の憩いの場、盛岡城跡公園に建つ「願はくはわれ 太平洋の橋 とならん」の碑は、盛岡生まれで、のちに国際連盟事務次長をつとめた新渡戸稲造のもの。新渡戸は英文学を学ぶ目的は、という教授の質問に「自分は許されるならば、太平洋の橋となりたいと思う。日本の長所を西欧に紹介し、西欧の長所を日本に紹介する橋渡しの役を務めたい。だから英語に精通する必要があるのです」と答えたといわれています。
十六羅漢
南部藩時代に起こった飢饉の犠牲者を供養するために建立された宗龍寺境内跡に残る21体の石像。1837年に着手し、13年目の1849年に完成した。岩を切り出した隣の矢巾町からこの地まで運搬だけでも半年あまりかかった。また、彫り上げたのは藩のご用職人たちで、地元の石工が作り上げた石像は全国でも珍しい。