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盛岡市
県央エリア
宮沢賢治が大正6年より盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)在学中に、弟清六や従兄と大沢川原一丁目の玉井家に下宿していた当時使用していた共同井戸。現在も自由に利用できる。
旧宣教師館
大正9年(1920)、ジャーマン・リフォームド・チャーチ教団が、下ノ橋教会に派遣した宣教師の居住に充てるために建築したもので、大正時代の純洋館の雰囲気をとどめている。中には入れないが、すぐ横には小さな公園があり大沢川原の由来の看板もあるので、ちょっとした休憩にどうぞ。
箱ヶ森
雫石川の流れ込む御所湖。あたりの緑を映す湖面の南に見える、箱を伏せたような形の山が「箱ヶ森」。約866mの山頂からは南昌山、早池峰山、岩手山など見渡すことができます。猪去沢登山口、藤倉登山口それぞれから山頂まで約120分
宮沢賢治歌碑(旧県立図書館広場)
宮沢賢治の詩碑「岩手公園」は、中津川の近く、盛岡城跡公園(岩手公園)の中に「川と銀行木のみどりまちはしづかにたそがるゝ」・・・という詩そのものの情景の中に建っています。「かなた」と老いし、タピング氏は、杖をはるかにゆびさせど・・・と始まるこの詩は、賢治の死の1ヶ月前、昭和8年8月につくられた文語詩です。タピングは、布教のかたわら盛岡中学校で英語を教え、また夫人は盛岡幼稚園の創立者です。