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盛岡市
県央エリア
宮沢賢治が大正6年より盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)在学中に、弟清六や従兄と大沢川原一丁目の玉井家に下宿していた当時使用していた共同井戸。現在も自由に利用できる。
旧中村家住宅
中村家は「糸屋」または「糸治」と呼ばれた城下町盛岡でも指折りの大きな商家で、呉服・古着などを主に商っていた。初代は宮守村出身で天明2年(1782)から盛岡で商売をはじめ、二代目のときから「糸屋」を称するようになり盛岡藩の特産である紫根染を一手に商うなどして発展した。建物は度々改築や修理が行われたが現在の主屋は文久元年(1861)に造られたもの、土蔵は明治期の建築だが主屋と機能的にも景観的のうえからも切り離せないものとして同時に重要文化財に指定された。建物は二階が発達し戸棚や押入れが多く造られるなど、江戸時代末期の特色がよく残されている。増改築の多い商家が原形を留めている例は極めて珍しく重要文化財の商家としては東北でも数少ないものの一つ。
榊山稲荷神社(もりおかかいうん神社)
盛岡城築城(慶長二年)の折、南部氏二十六世信直公が、城内の榊山曲輪に、藩の命運をかけ領地の総鎮守とし、もりおかかいうん神社を奉斎。神霊は、祖先である新羅三郎義光公(清和源氏)より崇敬されて来た神で、明治の世になり廃藩置県のため廃社となるも、その後、北山の地に再建された祈願神社である。 境内には14社のお社があり、盛岡藩時代から由縁ある名勝庭園「緑風苑」や「心字の池」を有し、盛岡の四季を彩る荘厳な神域となっている。
清養院
宮沢賢治が盛岡中学時代に新舎監排撃運動で退寮を命じられて下宿をしていたお寺です。また、裏には「岩手」の由来の伝説が残る三ツ石神社があります。