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盛岡市
県央エリア
宮沢賢治が盛岡中学時代に新舎監排撃運動で退寮を命じられて下宿をしていたお寺です。また、裏には「岩手」の由来の伝説が残る三ツ石神社があります。
榊山稲荷神社(もりおかかいうん神社)
盛岡城築城(慶長二年)の折、南部氏二十六世信直公が、城内の榊山曲輪に、藩の命運をかけ領地の総鎮守とし、もりおかかいうん神社を奉斎。神霊は、祖先である新羅三郎義光公(清和源氏)より崇敬されて来た神で、明治の世になり廃藩置県のため廃社となるも、その後、北山の地に再建された祈願神社である。 境内には14社のお社があり、盛岡藩時代から由縁ある名勝庭園「緑風苑」や「心字の池」を有し、盛岡の四季を彩る荘厳な神域となっている。
三ツ石神社
東顕寺の裏手には、三個の巨大な花崗岩が立ち並ぶ三ツ石神社があり、その三ツ石に鬼の手形伝説があることから、それが岩手の名の起こりとされている。さんさ踊り発祥伝説の地でもある。
盛岡八幡宮
盛岡八幡宮は延宝8年(1680)、第29代南部重信公により建立された。盛岡八幡宮に祀られている神は、品陀和気命(第15代応神天皇)で、農業、工業、商業、学問、衣食住など人間生活の根源の神として昔から地域の人々の多大なる崇敬を集めてきた。明治17年(1884)の盛岡大火などの災害や永年の風雪被害を受けて社殿は再建がくり返され、現在の社殿は平成9年12月に建て直された。色鮮やかなな彫刻の施された朱塗りの大社殿が新しい「盛岡の顔」として堂々たる風格を漂わせている。県下一の大社として、また人々の生活に根ざした信仰や祝い事の拠りどころとして現在も年間を通して多くの参拝者で賑わっている。