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盛岡市
県央エリア
城下町の形成当時、中心部と河南地区とを結ぶ重要な橋でした。擬宝珠は昔、上の橋と与の字橋に使われていたものを補修して付けたものです。
十六羅漢
南部藩時代に起こった飢饉の犠牲者を供養するために建立された宗龍寺境内跡に残る21体の石像。1837年に着手し、13年目の1849年に完成した。岩を切り出した隣の矢巾町からこの地まで運搬だけでも半年あまりかかった。また、彫り上げたのは藩のご用職人たちで、地元の石工が作り上げた石像は全国でも珍しい。
石川啄木歌碑(盛岡駅前)
盛岡駅前広場には「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」と刻まれた歌碑がある。東京朝日新聞時代に勤めていた時代に詠んだもので、その郷愁を誘う歌は多くの人に親しまれている。また、駅正面外壁に掲げられた「もりおか」の文字は、啄木自筆の文字を集字して使用したもの。
原敬
盛岡市出身。政党政治の基礎を作った政治家。井上馨の世話で外務省に入り、40歳で外務次官、42歳で朝鮮公使となった。後に伊藤博文らとともに立憲政友会を創立し、大正3年に政友会総裁となった。大正7年第19代内閣総理大臣に就任。我が国で始めての爵位のない総理大臣であり、これで明治以来の藩閥政府は政党政治へと転換し、原は「平民宰相」と呼ばれた。大正10年11月4日、東京駅で一青年の凶刃に倒れた。