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亀ヶ森の一本桜カメガモリノイッポンザクラ

宮古市

沿岸エリア

    標高800m地帯の亀ヶ森牧地の一角にあるオオヤマザクラ。

    ※樹勢回復のため、2019年秋に枯れ枝などの伐採・剪定、土壌改良がおこなわれました。
    詳細はこちら→【宮古市・亀ケ森の一本桜
    2022年は主要な枝先に花芽が見られず、以前のような開花とはなりませんでした。(※写真は剪定前の写真です。)

    所在地
    宮古市田代亀ヶ森
    お問い合わせ
    宮古市観光課
    電話番号0193-62-2111
    その他
    ※牧草地なので牛を放牧しています。一本桜周辺は立ち入り禁止です。私有地ですので遠くから眺めてお楽しみください。

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    西塔幸子記念館

    西塔幸子は、明治33年、矢巾町白沢で生まれました。実家の大村家は教員一家でしたが、祖先には南部藩砲術指南だった大村治五平という有名な人がいます。又、兄弟親戚にも文学者が多く、幸子は少女時代を豊かな感性を育てる境遇で過ごしました。師範学校を出た幸子は、当時としては珍しかった女教師の道をひたすらに生きました。自分自身も結婚、出産と人間としての重責を負いながら、情熱的に教育に打ちこみ、さらに夜学で地元の青年にも歌劇を教え、地域文化の向上に尽くしました。その傍らで、自己実現のための歌づくりにも没頭し、各方面へ投稿して女流歌人として注目を集めていきます。けれども、幸子が社会的にがんばればがんばるほど、家庭生活には不協和音が生じ、幸子は夢と現実の狭間でジレンマに陥ります。しかし、どんな時でも歌への情熱を捨てず、死の床でも肌身離さなかった歌のノートに綴られた幸子の「生きざま」は死後60年以上を経てますます私たちの胸に迫ってきます。(昭和11年6月22日没 37歳) 西塔幸子の最後の赴任地となった江繋の地に建てられた記念館では、女啄木といわれた薄幸の歌人、西塔幸子の生きざまを紹介しています。

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