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重湍渓
猿ヶ石川上流にある渓谷。巨大な花崗岩が階段状に侵食され畳を何枚も敷いたように対岸近くまで連なっている間を、清らかな水が滝を作って流れており、紅葉の名所として知られています。
遠野市
県南エリア
666 西和賀町_JR北上線③_(秋)
西和賀町
葛根田渓谷
岩手山南麓を流れる葛根田川の上流部にあり、玄武洞から滝ノ上温泉まで約10kmの渓谷。ブナの原生林をはじめ、多様な広葉樹が広がり、新緑や紅葉が特に美しい。渓谷の奥には、「鳥越の滝」があり、岩肌から深緑の滝壺に落ちる約30mの滝はみごと。紅葉の時期には、多くの人でにぎわいます。
雫石町
県央エリア
162 盛岡市_盛岡市中央公民館⑦_(秋)
盛岡市
橋本八百二
紫波町出身の画家。東京美術大学西洋画科を卒業。昭和5年の帝展に300号の大作『交代時間』を出品・特選となり、以後も連続して特選や推薦に選ばれ続けた。戦後は政界入りして県議会議長を務めた。昭和34年に議員生活を終え、画家としてヨーロッパへ渡り、帰国後に展覧会を開催。昭和50年に盛岡市岩山に自身や友人の作品、バルビゾン派の作品、民芸品など、数々作品を展示した橋本美術館を創設した。(美術館は平成13年閉館している。)
161 盛岡市_盛岡市中央公民館⑥_(秋)
原敬
盛岡市出身。政党政治の基礎を作った政治家。井上馨の世話で外務省に入り、40歳で外務次官、42歳で朝鮮公使となった。後に伊藤博文らとともに立憲政友会を創立し、大正3年に政友会総裁となった。大正7年第19代内閣総理大臣に就任。我が国で始めての爵位のない総理大臣であり、これで明治以来の藩閥政府は政党政治へと転換し、原は「平民宰相」と呼ばれた。大正10年11月4日、東京駅で一青年の凶刃に倒れた。
160 盛岡市_盛岡市中央公民館⑤_(秋)
松本竣介
東京渋谷区生まれ。幼児の頃に花巻にへ、10歳のときに盛岡へ移り住み、17歳まで岩手県で過ごす。モジリアニに傾倒していた。昭和10年『建物』が二科展で初入選、昭和15年には『都会』が特別賞を受賞。戦時中に発表の場が失われる中でも展示会を積極的に開いていたが、衰弱した体で終戦を迎え、”色と線の画家”は36歳の若さで死去した。