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末前神楽スエマエカグラ

宮古市

沿岸エリア

修験者一明院が元禄13年(1700年)に末前村・田代村の里人に伝授し、のち郷土黒森神楽、鎮守熊野神社に奉納したことが始まりと伝えられている。平成13年には末前神楽300年祭が盛大に開催され、清剣・御神楽・清祓・山の神の舞が披露された。現在保存会では、子供達への伝承活動を活発に行なっており世代を超えた交流により地域一丸となって活動しています。

所在地
〒027-0355 岩手県宮古市田老字末前
お問い合わせ
末前神楽保存会会長 西野勝雄
電話番号0193-87-2459

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西塔幸子記念館

西塔幸子記念館

西塔幸子は、明治33年、矢巾町白沢で生まれました。実家の大村家は教員一家でしたが、祖先には南部藩砲術指南だった大村治五平という有名な人がいます。又、兄弟親戚にも文学者が多く、幸子は少女時代を豊かな感性を育てる境遇で過ごしました。師範学校を出た幸子は、当時としては珍しかった女教師の道をひたすらに生きました。自分自身も結婚、出産と人間としての重責を負いながら、情熱的に教育に打ちこみ、さらに夜学で地元の青年にも歌劇を教え、地域文化の向上に尽くしました。その傍らで、自己実現のための歌づくりにも没頭し、各方面へ投稿して女流歌人として注目を集めていきます。けれども、幸子が社会的にがんばればがんばるほど、家庭生活には不協和音が生じ、幸子は夢と現実の狭間でジレンマに陥ります。しかし、どんな時でも歌への情熱を捨てず、死の床でも肌身離さなかった歌のノートに綴られた幸子の「生きざま」は死後60年以上を経てますます私たちの胸に迫ってきます。(昭和11年6月22日没 37歳) 西塔幸子の最後の赴任地となった江繋の地に建てられた記念館では、女啄木といわれた薄幸の歌人、西塔幸子の生きざまを紹介しています。

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