当サイトを使用することにより、クッキーの設定および使用に同意したことになります。 詳細については、プライバシーポリシーを参照してください。
いわてを知る
特集・モデルコース
スポット・体験
アクセス
観光ガイド
教育旅行
賛助会員
観光素材 / 情報
協会について
肴町商店街
市内中心部の東側にある、盛岡唯一の全天蓋式アーケードのある商店街。多種多様な商店が軒を並べ、雨も風も雪も気にせずに買い物が楽しめます。
盛岡市
県央エリア
旧石井県令邸
現在の県知事にあたる第二代石井省一郎県令の私邸の洋館として明治18~19年に建設されました。盛岡で最も古い本格的な煉瓦造の洋館で、昭和52年に盛岡市歴史的建造物に指定されました。
葛根田渓谷
岩手山南麓を流れる葛根田川の上流部にあり、玄武洞から滝ノ上温泉まで約10kmの渓谷。ブナの原生林をはじめ、多様な広葉樹が広がり、新緑や紅葉が特に美しい。渓谷の奥には、「鳥越の滝」があり、岩肌から深緑の滝壺に落ちる約30mの滝はみごと。紅葉の時期には、多くの人でにぎわいます。
雫石町
橋本八百二
紫波町出身の画家。東京美術大学西洋画科を卒業。昭和5年の帝展に300号の大作『交代時間』を出品・特選となり、以後も連続して特選や推薦に選ばれ続けた。戦後は政界入りして県議会議長を務めた。昭和34年に議員生活を終え、画家としてヨーロッパへ渡り、帰国後に展覧会を開催。昭和50年に盛岡市岩山に自身や友人の作品、バルビゾン派の作品、民芸品など、数々作品を展示した橋本美術館を創設した。(美術館は平成13年閉館している。)
原敬
盛岡市出身。政党政治の基礎を作った政治家。井上馨の世話で外務省に入り、40歳で外務次官、42歳で朝鮮公使となった。後に伊藤博文らとともに立憲政友会を創立し、大正3年に政友会総裁となった。大正7年第19代内閣総理大臣に就任。我が国で始めての爵位のない総理大臣であり、これで明治以来の藩閥政府は政党政治へと転換し、原は「平民宰相」と呼ばれた。大正10年11月4日、東京駅で一青年の凶刃に倒れた。
松本竣介
東京渋谷区生まれ。幼児の頃に花巻にへ、10歳のときに盛岡へ移り住み、17歳まで岩手県で過ごす。モジリアニに傾倒していた。昭和10年『建物』が二科展で初入選、昭和15年には『都会』が特別賞を受賞。戦時中に発表の場が失われる中でも展示会を積極的に開いていたが、衰弱した体で終戦を迎え、”色と線の画家”は36歳の若さで死去した。
米内光政
盛岡市出身の海軍軍人・政治家。海軍大学校を卒業後海軍少尉に任官、その後も累進を続けて昭和12年には海軍大臣に就任し、陸軍が主張する三国同盟に反対していた。昭和15年に第37代内閣総理大臣に就任し、平和を望む人々の期待を受けたが、陸軍の反対で半年後に総辞職する。第二次世界大戦末期に海軍大臣に復帰し戦争終結と戦後処理に貢献するなど、常に平和の探求・実現に向けて務めた。 盛岡市先人記念館に米内光政記念室があり、ゆかりの品等が展示されている。
森の大橋
松川渓谷にかかる橋。絶好の紅葉スポット。
八幡平市
上坊の一本桜
上坊牧野に咲く一本桜。霞がかかっているように見えることから名前がついたといわれる「カスミザクラ」。
もりおか歴史文化館
岩手県立図書館として使われていた建物を全面改装し、2011年、盛岡城跡公園(岩手公園)の一角に開館。1階では盛岡の祭り(チャグチャグ馬コ・盛岡さんさ踊り・盛岡秋まつり山車)や旬の観光情報を紹介し、2階では盛岡藩の歴史や南部家の至宝を展示しています。喫茶(お休み処「不来方」)併設。城下町盛岡の歴史や文化に触れ、まち歩きを楽しむきっかけにぜひお立ち寄りください。
彩園子 一茶寮
土蔵造りの建物が残る紺屋町に黒漆喰の200年以上たつ土蔵がある。1階がギャラリー彩園子、2階は「一茶寮」(喫茶店)になっている。天井の高い蔵内をやさしく照らすランプの灯りと懐かしさあふれる調度品に心が和む。珈琲、中国茶でのんびりくつろぎのひとときを。奥には「彩園子II」もあり、かくれた芸術空間となっている。
御菓子司 山善
工芸菓子の製作工程(生地から型抜き、仕上げまで)をパネルで紹介している。店内には、御菓子で作られた花や木、鳥などの工芸菓子を30点ほど展示しており、第23回全国菓子大博覧会で全菓博工芸大賞を受賞した「南部花車」は壮観。 素材を吟味した確かな仕事に、四季折々の季節を感じさせる和菓子の魅力を十分に堪能することができる。