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白木峠
西和賀町(旧湯田町)と秋田県横手市(旧山内村)には、かつて御番所(関所)がおかれ、その間の古道およそ6kmを白木峠道といった。後三年の役で安部貞任が越したと古書にも記され、藩政時代に雪害で命を落とした人の供養塔が建っている。今はハイキングコースになっており、遊歩道のまわりには椿や水芭蕉の群生が見られる。
西和賀町
県南エリア
子規ラインと子規の句碑
現在、錦秋湖にそって国道107号が通っている辺りはその昔、俳聖正岡子規が「近国無比の勝地なり」と記したところ。それにちなんで子規ラインと名付けられた。また町内には子規の句碑が連なっている。「山の温泉や裸の上の天の川」「蜩や夕日の里は見えながら」「秋風や人あらわなる山の宿」町内に句碑が3ヶ所あり、子規ラインとなっている。一番近い所が、ほっとゆだ駅前。
常光寺
明治19年2月20日石川啄木はこの寺に生まれた。境内には啄木の生涯の友であった金田一京助の揮亳による「石川啄木生誕之地」の碑がある。また、啄木の宝徳寺に転住するまで過ごした部屋が一部復元保存されている。
盛岡市
県央エリア
渋民公園(第1号啄木歌碑)
石川啄木記念館前の国道4号を横断した北上川のほとりに広がる渋民公園。ここには1922(大正11)年4月13日に建てられた第1号啄木歌碑があり、“やはらかに柳あをめる北上の岸邊目に見ゆ泣けとごとくに” と刻まれている。 公園内の啄木の駅では、喫茶店や地元主婦による手作りケーキや啄木グッズ、産直野菜も販売している。
石川啄木記念館
啄木の顕彰と資料収集、保存、情報提供を目的として1970年に開館、現在の建物は啄木生誕百年を記念して昭和61年に建設されました。白い洋館風の建物は、啄木が詩「家」に描いた理想の”我が家”を再現。故郷・渋民を振り出しに、盛岡、北海道、東京と移り住んだ啄木の足跡に沿って、啄木直筆のノートや書簡、写真、衣服など数多くの遺品や関係資料が展示されています。※撮影禁止
宝徳寺
万治元年(1658)に開基され区内一の檀家を擁するこの寺は、石川啄木が幼少時代を過ごした寺。岩手山を真正面に見る境内には「ふるさとの寺の畔のひばの木のいただきに来て啼きし閑古鳥」の歌碑が建っている。平成12年の建替えの際に、啄木が使用してた部屋が復元された。
五郎沼
平泉・藤原氏初代清衡の孫、樋爪太郎俊衡が建立した樋爪館跡の南にある五郎沼は、春は桜、冬は白鳥が飛来し訪れる人を楽しませています。 7月には駐車場隣の蓮池で、中尊寺で泰衡の首桶から見つかった種を復活させた古代蓮(中尊寺ハス)が美しい花を咲かせます。 東岸には、昔、度重なる沼の堤防決壊を食い止めるために人柱にされた女性の泣き声がするという伝説のある夜泣石と呼ばれる石碑があります。
紫波町
陣ヶ岡陣営跡と蜂神社
前九年の役の際に源頼義・頼家父子が陣営を敷いたとされる陣ヶ岡は、幾多の戦乱の拠点となったところです。 ここには、頼義・頼家父子が勧請したとされる蜂神社や頼義が造らせた月の輪・日の輪の中島などの前九年の役に関係する史跡のほか、 源頼朝による奥州藤原氏征伐の際、殺害された藤原泰衡の首をさらし首にする際、洗ったとされる清水があります。 春は桜、ツツジ、夏はアジサイ、秋は紅葉が美しい詩情豊かな聖地です。
草紫堂
南部紫染は、岩手根紫の名で鎌倉時代から知られており、南部信直公の盛岡治城以後、保護奨励された。良質で豊富な山野自生の紫草根と、独自の染技法、大桝・小桝・立桶の素朴な絞りにより染出され、これを南部紫と呼ぶこととなった。
平泉文化遺産センター
平泉町は町内の平泉郷土館と町文化財センターを統合し2009年4月14日、平泉文化遺産センターを開設しました。「平泉の文化遺産」をわかりやすく紹介するガイダンス施設として、町内観光のビジターセンターとして、平泉の歴史文化を幅広く紹介しています。
平泉町
白鳥舘遺跡
白鳥舘遺跡は中尊寺より北に位置し、安倍頼時八男、白鳥八郎則任の居城跡と伝えられています。11世紀後期、権力をふるった安倍氏関連の遺跡として平泉が形成される以前の周辺地域の歴史的背景を物語る重要な遺跡とされています。
奥州市
柳之御所遺跡
初代清衡が造営を行い、三代秀衡が再整備を行ったとされる柳之御所遺跡は平泉館(政庁)に該当する可能性が高いと評価されています。