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岩手県公会堂
1927年(昭和2)に昭和天皇のご成婚を記念して建てられました。その当時、外側をレンガで飾ったモダンな造りは東北でも注目を浴びましたが、近代的な建物が立ち並ぶ現在の官庁街のなかでも目を引きます。
盛岡市
県央エリア
中の橋
中の橋は盛岡市の中央を流れる中津川に架けられた橋の中でも、商店街と官庁街を結ぶ重要な橋となっています。現在の橋は、昭和31年に造られた鋼橋で全長は54mです。秋になると、鮭が遡上する姿を見ることができます。
宮沢賢治歌碑(旧県立図書館広場)
宮沢賢治の詩碑「岩手公園」は、中津川の近く、盛岡城跡公園(岩手公園)の中に「川と銀行木のみどりまちはしづかにたそがるゝ」・・・という詩そのものの情景の中に建っています。「かなた」と老いし、タピング氏は、杖をはるかにゆびさせど・・・と始まるこの詩は、賢治の死の1ヶ月前、昭和8年8月につくられた文語詩です。タピングは、布教のかたわら盛岡中学校で英語を教え、また夫人は盛岡幼稚園の創立者です。
寺町通り
南部鉄器の街路灯や石畳風の歩道、寺院の塀が続く通りは、昭和62年「日本の道百選」に選ばれた。五百羅漢で知られる報恩寺、岩手の地名伝説にもなっている三ツ石神社などはこの近く。
岩鋳鉄器館
岩鋳は創業明治35年以来、伝統の技を守り継承し、年間100万点にのぼる南部鉄器を作り続けている。伝統を守りながらも時代が求める新しい伝統の創造にも取り組み、多種多様の南部鉄器製品は国内のみならず、ヨーロッパを中心に海外にも輸出されている。岩鋳鉄器館は、南部鉄器の展示ギャラリーを始め、実際の作業行程を見学できるテーマパーク型工場です。
盛岡劇場
東京国立劇場から遅れることわずか2年、大正2年に市民の憩いが実って建設された盛岡劇場。その後、時代の流れの中で姿を消したが、平成2年、再び市民の熱意で同じ場所に甦った。文士劇も同時に復活。今や日本で唯一の文士劇を公演する劇場となっている。
岩手大学 図書館アザリアギャラリー
盛岡高等農林学校時代に図書室として使われていた建物で、宮澤賢治も在学中に生物学・鉱物学・文学・芸術などの学問を吸収した現場でもある。ここでは、これまで100年間に大学が取り組んできた家畜疾病利水、環境対策(工学部)など地域へ貢献した研究業績の紹介や縄文時代、胆沢城、徳丹城、志波城などに関する考古資料(人文社会科学部・教育学部)などを展示・公開している(常設展示室)。また、企画展示室では期間を限定し大学が保有する貴重な資料を展示している。
御所湖
雫石川をせきとめて作ったダム湖。湖畔にはスポーツ施設、水生植物園、南部曲り家などがあり気軽にレジャーが楽しめる。 繋大橋のたもとには舟越保武氏作の「シオン」の像が立っている。 また、盛岡市内から御所湖へ向かう県道盛岡鶯宿線沿いにコスモス畑があり、道路に寄りそうように作られた広さ約500坪の土地にはオレンジの花が咲くサンセット、ピンクや白花のセンセーションが植えられている。背後には岩手山と銀色に光る御所湖、そして御所大橋が望める絶好のロケーション。 コスモス開花時期/8月上旬~10月上旬
石川啄木歌碑(盛岡城跡公園(岩手公園))
盛岡城跡公園(もりおかじょうあとこうえん)には、有名な「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」の歌碑が立っている。少年時代の啄木が学校の窓から逃げ出してきて、文学書、哲学書を読み、白日の夢を結んだのが盛岡城二の丸。歌碑の文字は金田一京助の書。
盛岡城跡公園(岩手公園)
南部藩主の居城であった盛岡城の旧跡。盛岡城は3代藩主重直の時代、寛永10年(1633)に完成。 旧北上川と中津川の合流点の丘陵地を利用して築かれた平山城。 現在は石垣や池が残り、盛岡城跡公園(もりおかじょうあとこうえん)として四季を通じて市民に親しまれている。
盛岡八幡宮
盛岡八幡宮は延宝8年(1680)、第29代南部重信公により建立された。盛岡八幡宮に祀られている神は、品陀和気命(第15代応神天皇)で、農業、工業、商業、学問、衣食住など人間生活の根源の神として昔から地域の人々の多大なる崇敬を集めてきた。明治17年(1884)の盛岡大火などの災害や永年の風雪被害を受けて社殿は再建がくり返され、現在の社殿は平成9年12月に建て直された。色鮮やかなな彫刻の施された朱塗りの大社殿が新しい「盛岡の顔」として堂々たる風格を漂わせている。県下一の大社として、また人々の生活に根ざした信仰や祝い事の拠りどころとして現在も年間を通して多くの参拝者で賑わっている。
南昌荘
盛岡出身の実業家瀬川安五郎が明治18年頃に邸宅として建て、築庭も数年かけ完成しました。池泉回遊式の庭園を有し、原敬など数多くの著名人も訪れています。盛岡市の保護庭園・景観重要建造物。庭園は国の登録記念物に登録されています。