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清水野の桜並木
県道13号から「煙山苗畑」に向かう道路沿い1,5キロにわたる清水野の桜並木は、約100本の桜が見事に咲いています。
矢巾町
県央エリア
七ツ田の弘法桜
雫石町の天然記念物に指定されている弘法桜は、樹齢約800年のエドヒガンザクラです。その昔弘法大師がこの地を訪れた際、杖にしていた桜の枝を地面につきさしたものが根付いたと伝えられ、毎年ゴールデンウィーク頃には見事な花を咲かせます。
雫石町
岩手県民会館
岩手県民会館は、岩手県の芸術文化の中心的役割を果たすものとして、音楽、演劇、集会など多目的に使用されております。正面右手に立つ舟越保武氏制作によるブロンズ像「はばたき」は、岩手の芸術文化が飛躍する姿を象徴しています。
盛岡市
たきざわ自然情報センター
平成21年にオープンし、11月には遊歩道が完成しました。ハイキングや歩くスキーなど幅広く楽しめます。登山情報、写真展や見頃な草花の紹介など最新の情報を備えて皆様のお越しをおまちしております。
滝沢市
宮沢賢治の詩碑(くらかけの雪)
宮沢賢治の愛した山、鞍掛山。四季折々でその表情を変える風景はとても美しく、賢治の作品の原動力と言われています。「くらかけの雪」の詩碑はたきざわ自然情報センターの駐車場わきにたたずんでいます。
園井恵子像
本名、袴田トミ。岩手郡松尾村(現、八幡平市)で生まれ、岩手町で幼少期を過ごす。宝塚少女歌劇を夢見て育ち、ついにその夢を実現。映画「無法松の一生」で国民的な名声を得るも広島に落とされた原爆に遭遇し、命を落とす。園井恵子像は「岩手町働く婦人の家」敷地内にある。またこの施設には園田恵子の資料室もある。
岩手町
石川啄木
盛岡市(旧渋民村)出身の詩人・歌人。明治38年「啄木」の名で詩集「あこがれ」を刊行。明治43年、3行書きの短歌による処女歌集「一握の砂」を刊行。生活派歌人として評価されるが、貧困と病のため、故郷へ戻ることなく26歳で永眠した。
塩釜馬具店
東北唯一の馬具店。熊よけ鈴は全国でも人気がある。
葛西萬司
盛岡市出身の建築家。東京帝国大学工学部建築科にて、わが国の建築学の始祖といわれる辰野金吾に建築を学んだ。主な代表的建築物は東京駅、旧国技館(現日本大学講堂)、盛岡銀行本店(現岩手銀行中ノ橋支店)などが挙げられる。
鹿島精一
盛岡市出身の実業家。鹿島組の婿養子となり、組を鉄道建設専門業者にした。新工法を案出して、当時日本一長い『丹那トンネル』の工事で地盤の悪い地域を受け持って、16年かけ完成させた。また組を株式会社にして初代社長に就任し、業界でも帝国鉄道協会理事や日本土木建築業連合会長を務め、土木建築業界の近代化をすすめた。 盛岡市の東にある岩山には鹿島精一記念展望台があり、岩手山を中心とした山並みを一望できる。
金田一京助
盛岡市出身の言語学者で、アイヌ研究の第一人者。東京大学言語学科を卒業し、昭和7年『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』で学士院恩賜賞受賞。東京大学、国学院大学の教授となり、日本学士院会員、国語審議会委員なども務めた。昭和29年には文化勲章を受章。詩人石川啄木とは盛岡中学校時代からの友人で、よく面倒を見ていたと言われている。
久慈次郎
青森県に生まれ幼少期を盛岡市で過ごした久慈次郎は、盛岡中学野球部に誘われて捕手となる。早稲田大学入学後も野球部で活躍し、卒業後は実業団チーム函館オーシャン倶楽部に加わった。昭和9年に開催された日米野球大会にてアメリカ選抜チームのベーブ・ルースら一行と対戦し、捕手として沢村栄治投手を好リードした。昭和14年、送球を頭部に受けて死去。今も都市対抗野球では敢闘賞として久慈賞が設けられている。