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盛岡市保護庭園「一ノ倉邸」
「一ノ倉邸」は盛岡市自然環境及び歴史的環境保全条例に基づき、昭和49年に保護庭園に指定されました。この庭園と建物は明治後期に盛岡出身の政治家 阿部浩(貴族院議員、東京府知事)により造られた由緒と歴史のあるものです。その後一ノ倉氏に譲渡され平成4年に盛岡市が取得したもので、今もなお往時の面影をしのばせてくれます。 また、奥州藤原氏に縁の深い安倍舘に建つ一ノ倉邸には中尊寺ハスが株分けされており、7月下旬~8月上旬に美しいハスが楽しめます。
盛岡市
県央エリア
夏虫山
海を一望する標高717mの夏虫山はホンシュウジカ北限の地。山頂付近まで道路が整備されており、途中、入り組んだ海岸線はもちろん、大船渡や金華山までも見渡せるほど眺望がよく、漁火のシーズンは幻想的なシーンが繰り広げられます。自然に囲まれ、ゆったりとしたリゾート気分が味わえます。
大船渡市
沿岸エリア
旧盛岡高等農林学校(岩手大学農学部附属農業教育資料館)
わが国初の高等農林学校として明治35年に開校した旧盛岡高等農林学校は、宮沢賢治も学びました。現在は賢治に関する資料を多数展示する教育資料館として一般公開しています。農学部内には植物園があり、市民の憩いの場として親しまれています。欧風建築の学舎は国の重要文化財に指定されています。
十六羅漢
南部藩時代に起こった飢饉の犠牲者を供養するために建立された宗龍寺境内跡に残る21体の石像。1837年に着手し、13年目の1849年に完成した。岩を切り出した隣の矢巾町からこの地まで運搬だけでも半年あまりかかった。また、彫り上げたのは藩のご用職人たちで、地元の石工が作り上げた石像は全国でも珍しい。
国見山廃寺跡
今からおよそ1200年前に栄えた古代山岳寺院跡。 「銅竜頭」や堂宇の礎石群が隆盛を極めたころの面影を伝えている。
北上市
県南エリア
江釣子古墳群
7世紀後半から8世紀前半にかけてつくられた古墳群。直径6~15mの円墳が約120基あり、勾玉、切子玉、蕨手刀、直刀、馬具などが数多く出土している。中でも金層ガラス玉は、国内でも数例しかない貴重な出土品で、大陸との交易があったことを推測させる。
三陸大王杉
八幡神社境内にある胸高周囲11.6メートル、直径4.5メートル、樹高約25メートル、推定樹齢7千年余りの大王杉は、越喜来地区の成立と歴史を見てきた生き証人。地区のシンボルとして、大切に守られています。
ホロタイの郷「炭の家」
自然をこよなく愛するグリーンツーリズムの方々におすすめ。炭焼き体験などの体験学習、研修などにも利用できる多目的施設、また宿泊もできる。
陸前高田市
樺山遺跡(樺山歴史の広場)
昭和26年(1951)の発掘調査で約30か所の配石遺構が見つかった縄文時代の集落跡である。堅穴住居を復元して野外展示している。
観自在王院跡【世界遺産】
毛越寺の東に隣接する観自在王院跡(かんじざいおういんあと)は、二代基衡夫人が営んだと伝えられています。寺域は、東西120m、南北240m。四隅が丸くなった方形の苑池(舞鶴が池)には、巨石を積み重ねた荒磯様の石組、小じんまりした洲浜(すはま)、東西に長い中島などが点在しています。北岸は広庭、それに向かって西に大阿弥陀堂跡、東に小阿弥陀堂跡。東岸には、鐘楼(しょうろう)跡と普賢堂(ふげんどう)と伝えられる遺跡もあります。
平泉町
下の橋
城下町の形成当時、中心部と河南地区とを結ぶ重要な橋でした。擬宝珠は昔、上の橋と与の字橋に使われていたものを補修して付けたものです。
山岸のカキツバタ群落
盛岡市の花でもあるカキツバタ。 この群生地が市街地から北東へ約4km、市内と岩泉を結ぶ国道455号線沿いの山岸・太平にある。 花期になると931平方メートルの敷地一面に爽やかな青紫の花が咲き乱れ、黄緑の葉色にも映えてそれは見事な眺め。 敷地内には東屋と駐車スペースもあるため、市民の憩いのスポットにもなっている。 県指定の天然記念物であり、保護活動もさかんに行われている。 開花/6月上旬~6月中旬