当サイトを使用することにより、クッキーの設定および使用に同意したことになります。 詳細については、プライバシーポリシーを参照してください。
いわてを知る
特集・モデルコース
スポット・体験
アクセス
観光ガイド
教育旅行について
賛助会員
観光素材 / 情報
協会について
光林寺
弘安3年(1280)にひらかれた時宗の寺。寺林城主・河野通重の嫡子、通次が開基し、彼はのちに時宗の開祖・一遍上人に帰依し、その協力を得て念仏道場を作ったと言われている。宝蔵庫に多くの重要文書を収蔵。美しい庭園では、カシワの巨木がひときわ目立っている。
花巻市
県南エリア
遠野ふるさと村
市内の「南部曲り家」を移築・保存し、懐かしい遠野の農村を再現した場所。のどかな風景の中で「もちつき」「そばうち」「縄ない」など様々な農村体験が可能です。また、ふるさと村内には遠野の文化と伝統を守る「まぶりっと」がいて、農村体験のインストラクターもつとめ、やさしくサポートしてくれます。
遠野市
坂本神社 神楽奉納
例年8月に行われる坂本神社祭典・前郷夏祭りは、坂本神楽の奉納、盆踊り、夜店などで賑わう。坂本神楽は坂本神社に伝わる山伏系神楽で、言い伝えでは安政6年(1859)神職高橋右内が和賀郡藤根の神楽師善助を招いて習得したもの。36演目の山伏神楽のうち、坂本に12演目、他に藤根及び岩崎にそれぞれ12演目を分ち伝えられたといわれている。開催日 8月上旬
西和賀町
およね地蔵尊
唄「沢内甚句」に出てくる「お米=およね」 その昔、南部藩の隠し田と呼ばれ石高、三千石といわれた稲作地帯であったと伝えられている。天保の大飢饉が村を襲い、年貢米は勿論、飢を凌ぐにも困難な年、困り果てた村人が年貢米の代わりにお米という娘を藩公に差し出した。そうして村は救われたが、お米は帰ってこなかった。その娘の献身を称えて立てられたお米地蔵が浄円寺の境内に祭られている。
白木峠
西和賀町(旧湯田町)と秋田県横手市(旧山内村)には、かつて御番所(関所)がおかれ、その間の古道およそ6kmを白木峠道といった。後三年の役で安部貞任が越したと古書にも記され、藩政時代に雪害で命を落とした人の供養塔が建っている。今はハイキングコースになっており、遊歩道のまわりには椿や水芭蕉の群生が見られる。
子規ラインと子規の句碑
現在、錦秋湖にそって国道107号が通っている辺りはその昔、俳聖正岡子規が「近国無比の勝地なり」と記したところ。それにちなんで子規ラインと名付けられた。また町内には子規の句碑が連なっている。「山の温泉や裸の上の天の川」「蜩や夕日の里は見えながら」「秋風や人あらわなる山の宿」町内に句碑が3ヶ所あり、子規ラインとなっている。一番近い所が、ほっとゆだ駅前。
常光寺
明治19年2月20日石川啄木はこの寺に生まれた。境内には啄木の生涯の友であった金田一京助の揮亳による「石川啄木生誕之地」の碑がある。また、啄木の宝徳寺に転住するまで過ごした部屋が一部復元保存されている。
盛岡市
県央エリア
渋民公園(第1号啄木歌碑)
石川啄木記念館前の国道4号を横断した北上川のほとりに広がる渋民公園。ここには1922(大正11)年4月13日に建てられた第1号啄木歌碑があり、“やはらかに柳あをめる北上の岸邊目に見ゆ泣けとごとくに” と刻まれている。 公園内の啄木の駅では、喫茶店や地元主婦による手作りケーキや啄木グッズ、産直野菜も販売している。
石川啄木記念館
啄木の顕彰と資料収集、保存、情報提供を目的として1970年に開館、現在の建物は啄木生誕百年を記念して昭和61年に建設されました。白い洋館風の建物は、啄木が詩「家」に描いた理想の”我が家”を再現。故郷・渋民を振り出しに、盛岡、北海道、東京と移り住んだ啄木の足跡に沿って、啄木直筆のノートや書簡、写真、衣服など数多くの遺品や関係資料が展示されています。※撮影禁止