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宮沢賢治童話村
宮沢賢治の童話をテーマに夢のある世界を体感できる施設。賢治の思い描いた世界を5つのゾーンで構成した体験施設「賢治の学校」や、ログハウス展示施設「賢治の教室」では賢治の童話に関する展示がされているほか、賢治作品グッズや花巻の名産品を豊富に取り揃えたお店もあります。
花巻市
県南エリア
ふるさと創造館
大正時代に建てられた村のかつての豪農の民家を移築。平屋ながら140坪もの広さを誇り35畳の大広間をはじめ、いろりやかまどのある部屋や民具・農具の展示コーナーがあり、昔の生活様式に触れる事ができる。
九戸村
県北エリア
盛岡市保護庭園「一ノ倉邸」
「一ノ倉邸」は盛岡市自然環境及び歴史的環境保全条例に基づき、昭和49年に保護庭園に指定されました。この庭園と建物は明治後期に盛岡出身の政治家 阿部浩(貴族院議員、東京府知事)により造られた由緒と歴史のあるものです。その後一ノ倉氏に譲渡され平成4年に盛岡市が取得したもので、今もなお往時の面影をしのばせてくれます。 また、奥州藤原氏に縁の深い安倍舘に建つ一ノ倉邸には中尊寺ハスが株分けされており、7月下旬~8月上旬に美しいハスが楽しめます。
盛岡市
県央エリア
旧盛岡高等農林学校(岩手大学農学部附属農業教育資料館)
わが国初の高等農林学校として明治35年に開校した旧盛岡高等農林学校は、宮沢賢治も学びました。現在は賢治に関する資料を多数展示する教育資料館として一般公開しています。農学部内には植物園があり、市民の憩いの場として親しまれています。欧風建築の学舎は国の重要文化財に指定されています。
十六羅漢
南部藩時代に起こった飢饉の犠牲者を供養するために建立された宗龍寺境内跡に残る21体の石像。1837年に着手し、13年目の1849年に完成した。岩を切り出した隣の矢巾町からこの地まで運搬だけでも半年あまりかかった。また、彫り上げたのは藩のご用職人たちで、地元の石工が作り上げた石像は全国でも珍しい。
国見山廃寺跡
今からおよそ1200年前に栄えた古代山岳寺院跡。 「銅竜頭」や堂宇の礎石群が隆盛を極めたころの面影を伝えている。
北上市
江釣子古墳群
7世紀後半から8世紀前半にかけてつくられた古墳群。直径6~15mの円墳が約120基あり、勾玉、切子玉、蕨手刀、直刀、馬具などが数多く出土している。中でも金層ガラス玉は、国内でも数例しかない貴重な出土品で、大陸との交易があったことを推測させる。
樺山遺跡(樺山歴史の広場)
昭和26年(1951)の発掘調査で約30か所の配石遺構が見つかった縄文時代の集落跡である。堅穴住居を復元して野外展示している。
観自在王院跡【世界遺産】
毛越寺の東に隣接する観自在王院跡(かんじざいおういんあと)は、二代基衡夫人が営んだと伝えられています。寺域は、東西120m、南北240m。四隅が丸くなった方形の苑池(舞鶴が池)には、巨石を積み重ねた荒磯様の石組、小じんまりした洲浜(すはま)、東西に長い中島などが点在しています。北岸は広庭、それに向かって西に大阿弥陀堂跡、東に小阿弥陀堂跡。東岸には、鐘楼(しょうろう)跡と普賢堂(ふげんどう)と伝えられる遺跡もあります。
平泉町
下の橋
城下町の形成当時、中心部と河南地区とを結ぶ重要な橋でした。擬宝珠は昔、上の橋と与の字橋に使われていたものを補修して付けたものです。
ござ九
豪商の面影を今に伝えるござ九は、江戸後期から明治にかけて燈明用の燈心売や藁工品などを扱った商家です。城壁と貼り瓦、格子戸の低い軒が続く建物は、次々と建て増し、それぞれの時代をうかがい知ることができます。
岩手県立博物館
岩手山と姫神山を望む四十四田ダム湖畔の高台に建つ博物館。大型恐竜化石マメンキサウルスの大型復元全身骨格をはじめ、化石・岩石、考古、歴史、民俗、動植物などの資料を多数展示しています。野外には植物園、岩石園があり、中でも岩泉町と奥州市江刺区から昭和55年に移築された「旧佐々木家住宅(曲り家)」・「旧藤野家住宅(直屋)」は、いずれも国の重要文化財に指定されています。