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長谷寺の木造如来坐像と木造十一面観音菩薩立像
平安時代から鎌倉時代の仏像で、どちらの像も一木造りの技法で造られています。なかでも木造如来坐像は東北地方最古級の仏像とされ、ともに貴重な県指定の有形文化財です。
大船渡市
沿岸エリア
大泉寺
おかんの墓で知られる大泉寺は、江戸時代の文政年間に再建された独特な宝形式反り屋根の本堂になっている。宝形造りの屋根は、宝珠と軒の反りの線が流れる美しさが特徴。反りかえる軒先には力強さがあふれ、みごとな空間構成を作り出している。
盛岡市
県央エリア
華厳院
華厳院は、閉伊頼基が父・源為朝の菩提を弔うため、為朝の法名から寺の名をとり、根城にお寺を建てたのが始まりといわれています。はじめは天台宗でしたが、その後現在地にお寺を建立してから曹洞宗になりました。1792年に火災にあい本道が焼け落ち、また、大正7年にも火災にあいました。現在の本堂などはその後に再建されたものです。
宮古市
黒森神社
黒森山は古くから閉伊地方全域で信仰の対象とされてきた霊山で、平安から鎌倉期には神仏混仰の影響を受けて、人の世の菩薩救済の本願所として栄えていた山です。標高311mの山腹は松・杉・モミの茂る昼なお暗い森でおおわれています。文治4年(1188)4月、平泉高館自害の1年前、義経は影武者の杉目行信を残してひそかに平泉を脱出して、この山で3年3ヶ月にわたり「大般若経」を書写し祈願したとの伝説が残っています。「黒森」は「九郎森」から転じた名と言われてします。
高館義経堂
高館(たかだち)は、中尊寺の東方にある丘陵で、判官館(はんがんだて)とも呼ばれています。現在では、北上川に浸蝕されて狭くなっていますが、この一帯は清衡の時代から絶好の要害地とされていました。高館の頂上には、仙台伊達綱村公(せんだいだてつなむら)が天和3年(1683)に建立した義経堂があり、堂内には義経の像が祀られています。北上川の対岸から高館を遠望するとその樹木に包まれた丘の上に、義経堂が見えます。薄倖(はっこう)の将・源義経が、そこに佇むかのような風情があります。
平泉町
県南エリア
久昌寺
源氏の一族である源義里がこの田代に居館を構え、平泉を脱出した義経主従が北へ向かう途中に立ち寄ったといわれています。義里の妻源氏御駒により奉納された鰐口があります。
長安寺
日頃市町に約900年前に建立された浄土真宗大谷派の寺院。東北有数の名刹で京都東本願寺の末寺です。当時の建物は火災で焼失し、現在のものは後に再建された建物です。その中でも山門は高さおよそ20mの総ケヤキ造り、太鼓堂は約270年前、桃山建築の様式を取り入れて建てられています。
志賀理和気神社
昔から赤石さんの愛称で産業豊成や、河川海上安全、交通安全の守護神として広く崇敬されています。境内には紫波町の語源となったと言われる大きな赤い石が奉られています。参道には桜の大木が立ち並び、その中に樹齢700年といわれる縁結びの桜「南面の桜」があり、春は大勢の人が訪れます。
紫波町
祥雲寺
天和2年に岩沼から一関に移された田村家の菩提寺である。また、田村家に関する資料を展示した田村記念館がある。一切経蔵や伊達兵部宗勝の母にあたる保性院の廟等があり、閑静な中に田村家代々の墓がある。また、和算の大家千葉雄七胤秀や蘭学医学者建部清庵の顕彰碑も境内にある。
一関市
寺町通り
南部鉄器の街路灯や石畳風の歩道、寺院の塀が続く通りは、昭和62年「日本の道百選」に選ばれた。五百羅漢で知られる報恩寺、岩手の地名伝説にもなっている三ツ石神社などはこの近く。
志和稲荷神社と志和古稲荷神社
志和稲荷神社は、五穀豊穣、大漁、交通安全の守り神として多くの参拝者が訪れます。境内には、樹齢1,000年といわれる杉の古木があり信仰を集めています。また隣接の志和古稲荷神社は、アイオン台風で倒れた神木からキツネのミイラが発見され話題となりました。
横山八幡宮
白鳳9(681)年の創建とされる大変古く歴史のある神社です。源義経主従が参詣に訪れ、宿泊したと言われています。随行の家臣、鈴木三郎重家はかなりの老齢であったため、横山八幡宮に残留し名前を重三郎と変え、この八幡宮の神主となったと伝わっています。