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大島高任
盛岡市出身の鉱山学者であり、日本の近代製鉄の創始者。安政4年(1857年)釜石市橋野に日本初の洋式高炉を築いた。
釜石市
沿岸エリア
葛西萬司
盛岡市出身の建築家。東京帝国大学工学部建築科にて、わが国の建築学の始祖といわれる辰野金吾に建築を学んだ。主な代表的建築物は東京駅、旧国技館(現日本大学講堂)、盛岡銀行本店(現岩手銀行中ノ橋支店)などが挙げられる。
盛岡市
県央エリア
鹿島精一
盛岡市出身の実業家。鹿島組の婿養子となり、組を鉄道建設専門業者にした。新工法を案出して、当時日本一長い『丹那トンネル』の工事で地盤の悪い地域を受け持って、16年かけ完成させた。また組を株式会社にして初代社長に就任し、業界でも帝国鉄道協会理事や日本土木建築業連合会長を務め、土木建築業界の近代化をすすめた。 盛岡市の東にある岩山には鹿島精一記念展望台があり、岩手山を中心とした山並みを一望できる。
金田一京助
盛岡市出身の言語学者で、アイヌ研究の第一人者。東京大学言語学科を卒業し、昭和7年『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』で学士院恩賜賞受賞。東京大学、国学院大学の教授となり、日本学士院会員、国語審議会委員なども務めた。昭和29年には文化勲章を受章。詩人石川啄木とは盛岡中学校時代からの友人で、よく面倒を見ていたと言われている。
久慈次郎
青森県に生まれ幼少期を盛岡市で過ごした久慈次郎は、盛岡中学野球部に誘われて捕手となる。早稲田大学入学後も野球部で活躍し、卒業後は実業団チーム函館オーシャン倶楽部に加わった。昭和9年に開催された日米野球大会にてアメリカ選抜チームのベーブ・ルースら一行と対戦し、捕手として沢村栄治投手を好リードした。昭和14年、送球を頭部に受けて死去。今も都市対抗野球では敢闘賞として久慈賞が設けられている。
田中館愛橘記念科学館
日本における物理学の基礎を築いた田中館愛橘博士の遺品やローマ字の遺墨などの展示や、博士の生涯や業績を映像で紹介。大人も驚かされるサイエンスショーは毎日上演。科学技術の不思議な世界と実験の楽しさを子どもから大人まで体験できます。
二戸市
県北エリア
郷古潔
奥州市水沢区出身の実業家。昭和16年に三菱重工業の社長に就任したが、同年に東条英機内閣の内閣顧問に選ばれたため翌年会長となる。戦後、三菱重工業は戦時中兵器を製造していたため、当時郷古は社長として増産に励んでいたのだが、戦犯容疑者として拘留されることを余儀なくされた。出所後公職追放などの処分を受けたが、容疑が晴れ処分が解除されると財界に復帰。業界の様々な役職に就任し、戦後の経済復興に尽くした。
後藤新平
奥州市水沢区出身の政治家。愛知県病院の院長兼医学校長だったが、板垣退助を治療したことがきっかけで官界入り。台湾総督府民政長官などを経て満州鉄道の初代総裁となり満州の開発に力を注いだ。
奥州市
県南エリア
琥珀と久慈琥珀博物館
久慈は日本で随一の琥珀の産地。久慈琥珀博物館では、琥珀に関する資料や装飾品のほか、貴重な虫入りの琥珀も見ることができます。また、手づくりコーナーもあり琥珀のアクセサリーなども作ることができます。また新館は、琥珀を見て、触れて、体験できる施設。光と音、香りの演出で琥珀の魅力をダイナミックに体感できる体験カプセル「太陽に石」や、琥珀を使って様々な実験を行い、琥珀の不思議を体験しながら学習できる参加体験型展示「アンバーラボ」などがあります。
久慈市
思惟大橋
松前沢にかかる全長315m、高さ120mの「逆ローゼ橋」としては全国有数の大規模な橋です。
田野畑村
くずまき高原牧場
子牛・羊の世話など、牧場体験ができます。 牧場内にはアイスクリーム作りが体験できる「ミルクハウス」や宿泊施設「プラト-」「コテージ」もあり、 隣接の葛巻町森林公園は白樺に囲まれた北緯40度の公園で、キャンプ場もあります。 7月にはラベンダー園鑑賞イベントがあり、摘取りもできます。
葛巻町
石川啄木歌碑(下橋中学校校庭)
啄木の母校盛岡高等小学校(現:下橋中学校)校庭にある啄木の歌碑。啄木の2年上級で少年時代より晩年まで親交が厚く、堅い友情で結ばれていた金田一京助が啄木の歌を後年書いたもので、昭和52年秋、旧職員有志により建立された。「その昔 小学校の柾屋根に我が投げし鞠 いかになりけむ」