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黒森神社
黒森山は古くから閉伊地方全域で信仰の対象とされてきた霊山で、平安から鎌倉期には神仏混仰の影響を受けて、人の世の菩薩救済の本願所として栄えていた山です。標高311mの山腹は松・杉・モミの茂る昼なお暗い森でおおわれています。文治4年(1188)4月、平泉高館自害の1年前、義経は影武者の杉目行信を残してひそかに平泉を脱出して、この山で3年3ヶ月にわたり「大般若経」を書写し祈願したとの伝説が残っています。「黒森」は「九郎森」から転じた名と言われてします。
宮古市
沿岸エリア
五日市獅子踊り
五日市の獅子踊りは幕踊り系(幕を内からゆすって踊る)で、稲荷神社の祭日に踊ることになっていて、始め神社の境内で踊り、それから祭りの行列につき、あと町内を回ります。囃子は太鼓打ち2人(色模様の長襦袢、脱垂れにタスキ、黒もも引き、白足袋に草履)、笛吹き1人(半天)、鉦すり1人(半天)となっています。獅子は少年で大獅子3頭、小獅子3頭。道化2人、世話役として太夫4人となっています。開催日 岩手町秋まつりパレード時(中日)
岩手町
県央エリア
高館義経堂
高館(たかだち)は、中尊寺の東方にある丘陵で、判官館(はんがんだて)とも呼ばれています。現在では、北上川に浸蝕されて狭くなっていますが、この一帯は清衡の時代から絶好の要害地とされていました。高館の頂上には、仙台伊達綱村公(せんだいだてつなむら)が天和3年(1683)に建立した義経堂があり、堂内には義経の像が祀られています。北上川の対岸から高館を遠望するとその樹木に包まれた丘の上に、義経堂が見えます。薄倖(はっこう)の将・源義経が、そこに佇むかのような風情があります。
平泉町
県南エリア
久昌寺
源氏の一族である源義里がこの田代に居館を構え、平泉を脱出した義経主従が北へ向かう途中に立ち寄ったといわれています。義里の妻源氏御駒により奉納された鰐口があります。
長安寺
日頃市町に約900年前に建立された浄土真宗大谷派の寺院。東北有数の名刹で京都東本願寺の末寺です。当時の建物は火災で焼失し、現在のものは後に再建された建物です。その中でも山門は高さおよそ20mの総ケヤキ造り、太鼓堂は約270年前、桃山建築の様式を取り入れて建てられています。
大船渡市
岩手県公会堂
1927年(昭和2)に昭和天皇のご成婚を記念して建てられました。その当時、外側をレンガで飾ったモダンな造りは東北でも注目を浴びましたが、近代的な建物が立ち並ぶ現在の官庁街のなかでも目を引きます。
盛岡市
志賀理和気神社
昔から赤石さんの愛称で産業豊成や、河川海上安全、交通安全の守護神として広く崇敬されています。境内には紫波町の語源となったと言われる大きな赤い石が奉られています。参道には桜の大木が立ち並び、その中に樹齢700年といわれる縁結びの桜「南面の桜」があり、春は大勢の人が訪れます。
紫波町
祥雲寺
天和2年に岩沼から一関に移された田村家の菩提寺である。また、田村家に関する資料を展示した田村記念館がある。一切経蔵や伊達兵部宗勝の母にあたる保性院の廟等があり、閑静な中に田村家代々の墓がある。また、和算の大家千葉雄七胤秀や蘭学医学者建部清庵の顕彰碑も境内にある。
一関市
宮沢賢治歌碑(旧県立図書館広場)
宮沢賢治の詩碑「岩手公園」は、中津川の近く、盛岡城跡公園(岩手公園)の中に「川と銀行木のみどりまちはしづかにたそがるゝ」・・・という詩そのものの情景の中に建っています。「かなた」と老いし、タピング氏は、杖をはるかにゆびさせど・・・と始まるこの詩は、賢治の死の1ヶ月前、昭和8年8月につくられた文語詩です。タピングは、布教のかたわら盛岡中学校で英語を教え、また夫人は盛岡幼稚園の創立者です。
寺町通り
南部鉄器の街路灯や石畳風の歩道、寺院の塀が続く通りは、昭和62年「日本の道百選」に選ばれた。五百羅漢で知られる報恩寺、岩手の地名伝説にもなっている三ツ石神社などはこの近く。
志和稲荷神社と志和古稲荷神社
志和稲荷神社は、五穀豊穣、大漁、交通安全の守り神として多くの参拝者が訪れます。境内には、樹齢1,000年といわれる杉の古木があり信仰を集めています。また隣接の志和古稲荷神社は、アイオン台風で倒れた神木からキツネのミイラが発見され話題となりました。
宮古港海戦記念碑
宮古海戦は、明治維新の最中に宮古港で起こった幕軍と官軍の戦いです。官軍は五稜郭を攻撃するために北上し、その情報を知った幕軍は宮古港で待ち伏せする作戦をとりましたが、官軍の軍艦8隻に対して幕軍は「回天」1隻のみで、激戦の末に敗れました。この「回天」に新撰組の土方歳三、官軍の「春日」に東郷平八郎が乗っていました。臼木山には「宮古湾海戦解説碑」があります。