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明後沢古瓦出土遺跡
胆沢城と同じ平安初期の瓦が多数出土し、岩手県の史跡に指定されています。古代幻の城「かくべつ城」の跡ともいわれています。
奥州市
県南エリア
一首坂
前九年の役の激戦のさなかに、八幡太郎義家(源義家)が「衣の舘はほころびにけり」との歌に安倍貞任が「年を経し糸の乱れの苦しさに」と歌を返した。義家はこれに感じて敢て追わなかった。 この故事からこの坂を一首坂と伝えられる。
衣川柵
安倍氏が本據を構えた際の政庁と伝えられ、安倍氏滅亡後は清原氏の居館となり、桜並木に囲まれていたため並木屋敷の名称があるが後世においては衣川柵とも称されるようになった。
長者ケ原廃寺跡
三条吉次の屋敷跡であるとも、また朝日長者と呼ばれた安倍氏の屋敷跡ともいわれている。南門、本堂、西塔の礎石が残っている。
旧岩谷堂共立病院と向山公園
旧岩谷堂共立病院は明治七年、郡民の浄財により、県下初の西洋医学の殿堂「岩谷堂共立病院」として建築されました。 洋風手法を用いた楼閣様式のこの建物は、菊田一夫作「鐘の鳴る丘」のモチーフとされ、朝夕「鐘の鳴る丘」のメロディーが流れています。 その近くの高台にある向山公園は眺望に勝れ、園内には、国重要文化財である旧後藤家住宅や川端康成文学碑があります。
茂師海岸と恐竜の化石
小本海岸の南に続く茂師海岸。化石の島と呼ばれる松島、洗濯板に似た海食棚の波鼓ヶ舞などが見どころ。ここはアンモアイトなど1億年前の貝化石の産地として有名でしたが、昭和53年に日本で初めての草食性大型恐竜の化石が発見され話題を呼びました。地名を取り「モシ竜」と名づけられています。
岩泉町
沿岸エリア
南部牛追唄発祥の地
南部牛追唄は、岩手の代表的な民謡です。藩政時代、沿岸の塩や海産物を盛岡に運ぶ牛方たちが、道中、荷を積んだ牛を追いながら歌っていました。この南部牛追唄を歌い、競う全国大会が、毎年9月最終土日に開催されます。
酒の民俗文化博物館
世嬉の一酒造は「世の中の人々が喜ぶような良いお酒を造りなさい」と明治天皇の弟君の閑院の宮様が命名された。その中にある「酒の民俗文化博物館」はそんな創業当時の面影を現在に残している貴重な土蔵からなっています。木造二階建ての土蔵は東北一の規模。内部には1,600点を超える酒作りの道具の中から、その一部を展示。その他、酒の神松尾大明神を祀っている杜氏部屋や酒に欠かせない米作りの資料も見ることができる。平成18年には一関ゆかりの作家十二人を顕彰する「いちのせき文学の蔵」がオープン。
一関市
気仙大工左官伝承館
気仙大工左官の匠の技を伝承・保存するため、市民の森に建設されたのが「気仙大工左官伝承館」。ここでも気仙杉がふんだんに使用されており、茅茸き、蔵造りなど、多彩な佇まいの建物、3棟が建ち並んでいます。母屋の囲炉裏で飲むお茶もまた、格別な味わいです。
陸前高田市
蔵町モール
古くから北上川の舟運による物資の集散地として開け、岩谷堂箪笥、岩谷堂羊羹、金婚漬、卵麺など伝統物産品が多い岩谷堂。その製造元や商家の蔵を活かし整備された歩行者専用道路が『蔵まちモール』です。石畳やクラシックな街灯などレトロムード満点のスポットで、散策や買い物がゆったり楽しめます。
旧後藤家住宅
東北地方における民家の形式を、南部の曲がり家とともに二分する、直屋の典型的な民家で、元禄年間~宝永年間(1688~1711)に建設されたものと推定されます。(国・重要文化財) 中の見学は要予約。
益沢院跡
藤原清衡が紺紙金銀字交書一切経5300巻余を8年がかりで写経させましたが、その写経所が益沢院であり、岩谷堂・増沢地内にあったと考えられています。 江刺市営バス梁川、学間沢行き又は岩手県交通重王堂行き増沢バス停までJR東北新幹線水沢江刺駅下車から岩手県交通えさし藤原の郷行き江刺バスセンターバス停下車で乗換