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光勝寺
伝承によれば創建は藤原秀衡時代、金を産出する堀子たちのために阿弥陀堂を建立したという。その後、焼失、移転再建、焼失を繰り返したが、驚異的に阿弥陀三尊(県指定文化財)は残った。本尊阿弥陀如来は寄木造り、脇仏の菩薩像は一本木造りで、ともに平安末期の作。平泉との関係も深い。
住田町
沿岸エリア
龍昌寺聖観音
厳しく、かつ優しい海のような表情をたたえた観音像。今から約200年前の天明年間に、江戸から船で運ばれて来た神田の和泉守の作です。
大船渡市
毛越寺【世界遺産】
天台宗別格本山・毛越寺は山号を医王山といい、慈覚大師によって嘉祥3年(850)に開かれました。 平安時代後期に奥州藤原氏二代基衡公と三代秀衡公が金堂円隆寺、嘉祥寺など壮大な伽藍(がらん)を造営し、その規模は堂塔四十、僧坊五百を数え、わが国無二の霊地と称されました。 その後度重なる災禍に当時の伽藍は惜しくも焼失しましたが、現在大泉が池を中心とする「浄土庭園」と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国より特別史跡、特別名勝の二重指定を受けています。
平泉町
県南エリア
無量光院跡【世界遺産】
三代秀衡が造営した無量光院(むりょうこういん)は宇治平等院(うじびょうどういん)の鳳凰堂(ほうおうどう)を模しています。その居館である伽羅(がらん)の御所に隣接した秀衡寺院でした。その遺跡のほとんどは水田化していますが、現在でも池跡(いけあと)・中島(なかじま)・堂礎(どうそ)が残っています。昭和27年の発掘調査の結果によると、東西に走る伽藍の軸線が東門・橋・中島・橋堂を貫いて、その先に金鶏山(きんけいざん)が望まれるという、壮大な寺院であったことが知られています。
常行堂
この堂は享保17年(1732)、仙台藩主伊達吉村公によって再建されました。堂は宝形造りで須弥壇中央に本尊・宝冠の阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神(またらじん)がまつられています。摩多羅神は慈覚大師が中国から帰国する船の中で感得した神で、阿弥陀如来の化身といわれています。奥殿の扉はふだんは固く閉ざされ、33年に一度、一般に向け開帳されます。祭礼の正月20日は、古式の修法と法楽としての延年の舞が奉納されます。
鞍迫観音堂(県指定有形文化財)
寛文10年(1670)の建築。宝形造、3間四方で柱間270cmの大堂。支柱は全て土台まで丸柱で、太い柱に舟肘木を用い、垂木も太く、軒下回りにも一切の装飾を加えず、扉以外は全て分厚く幅広のはめ込み板壁とするなど、簡素にして剛直・明快な中世仏堂建築の様式を色濃く残しており、岩手県における代表的な江戸前期仏堂建築の一つである。また、近くには百数十枚の南部小絵馬などを保存する収蔵庫がある。
遠野市
新山高原
雄大な原野が広がり、ロマンチックな白樺林が続く高原。初夏になるとレンゲツツジ、ミヤマキンポウゲ等の高山植物が咲きそろう。
大槌町
華蔵寺の宝珠松
華蔵寺境内にある高さ20mのクロマツで、着花の習性が一般のものと反対になっています。普通の松は雌花が新しい枝の先に1、2個つき、雄花はその下に集りますが、この松は枝の中央に雌花が集まり、その上下に雄花がつきます。そのため、松ぼっくりが十数個が集まり「宝珠」のように見えることから「宝珠松」と呼ばれています。国指定天然記念物(昭和10年指定)
陸前高田市
座主館・伝法寺 跡
町西部山麓に座主館という小さい山があり、そこに館があったといわれるが、城主は不明である。礎石や碑石が今も残っている。また、その南麓に天台宗の屋彦山伝法寺といわれた仏教寺院の跡がある。が中世の館跡と仏教寺院跡の複合遺跡として、城郭などが今なおその地形に残されている。
矢巾町
県央エリア
鳥越観音
平安時代初期(9世紀初め)に慈覚大師が開いたという伝説が残る古寺。糠部三十三ヶ所観音巡礼の二十九札所として知られ、永正9年(1512年)の巡礼札の記録があることから、すでに室町時代の後半には観音巡礼の霊場として賑わっていたとされている。奥の院は鳥越山の切り立った崖の岩屋に作られており、霊験あらたかな観音霊場として数多くの参拝客が訪れている。
一戸町
県北エリア
奥州三十三観音 第19番 新山観音堂
奥州三十三観音 第19番札所 本尊:十一面観世音菩薩 熊谷至氏 ※仙台市在住
一関市
三ツ石神社
東顕寺の裏手には、三個の巨大な花崗岩が立ち並ぶ三ツ石神社があり、その三ツ石に鬼の手形伝説があることから、それが岩手の名の起こりとされている。さんさ踊り発祥伝説の地でもある。
盛岡市