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観光スポット

石川啄木の歌碑(大泉院及び周辺)

イシカワタクボクノカヒ

 「わが父は六十にして家をついで師僧の許に聴聞ぞする」八幡平市平舘、大泉院の歌碑。啄木の父一禎は平舘出身。大泉院で仏門に入った。ここには啄木の祖先の墓もある。

 また、JR平館駅構内に「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」、県立平舘高校前には「かの家のかの窓にこそ春の夜を秀子とともに蛙聴きけれ」がある。「秀子」は啄木の代用教員時代の同僚、文学上の友人だった堀田秀子のこと。

基本情報

連絡先名 (一社)八幡平市観光協会
所在地 〒028-7405 岩手県八幡平市平舘24-41
電話番号 0195-78-3500
FAX番号 0195-78-3838
ホームページ http://www.hachimantai.or.jp/launch

アクセス&マップ

ルート1: 盛岡駅 → 【在来線45分】 平館駅 → 【徒歩10分】 石川啄木の歌碑(大泉院及び周辺)

ルート2: 西根IC → 【車20分】 石川啄木の歌碑(大泉院及び周辺)

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ゆかりの人

石川啄木

盛岡市出身の詩人。盛岡尋常中学校(後の盛岡中学校)金田一京助や後の妻である堀合節子らと出会う。『明星』に傾倒し、上級生である野村胡堂・及川古志郎らの影響を受けて文学に目覚め、明治35年中学校を自主退学・上京する。与謝野鉄幹夫妻を訪ねて指導を受け、明治38年『啄木』の名で詩集『あこがれ』を刊行。同年に文芸誌『小天地』を創刊するが、経済的に行き詰まり1号で終刊となる。明治39年渋民村に戻り、母校の渋民尋常小学校の代用教員となるが、翌年北海道行きを決意。辞職を申し出て引き止められるものの、ストライキ騒ぎを指導し免職。ここから函館、札幌、小樽、釧路と漂泊の生活を送る。明治41年に再び上京し『東京毎日新聞』に小説『鳥影』を連載。明治43年には処女歌集『一握の砂』を刊行。生活派歌人として評価されるが、貧困と病のため明治45年、故郷へ戻ることなく永眠した。

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