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奥州三十三観音 第18番 松沢山六角堂
奥州三十三観音 第18番札所本尊:如意輪観世音菩薩
一関市
県南エリア
奥州三十三観音 第17番 龍雲寺大祥寺
奥州三十三観音 第17番札所本尊:十一面観世音菩薩(大祥寺本尊:釈迦牟尼仏)
めがね橋
JR釜石線の通称「めがね橋」は、半円が五つ連なるアーチ橋で、正式名称を「宮守川橋りょう」と言います。JR釜石線の前身である岩手軽便鉄道は、宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」のモチーフになったとされ、春、夏、冬の観光シーズンに緑色や橙色でライトアップされためがね橋は、道行く人を幻想の世界へと誘います。平成21年4月、恋人の聖地として認定されました。
遠野市
鳥取春陽生家
明治33年に旧新里村刈屋に生まれ31歳の若さで生涯を閉じた大正・昭和初期の演歌師・作曲家鳥取春陽(本名 貫一)の生家が現存しています。鳥取春陽は14歳のときに上京し、17歳から作曲活動を始め、大正11年に作曲した「籠の鳥」が空前の大ヒット。日本初のレコード会社専属歌手として活躍しました。
宮古市
沿岸エリア
末前神楽
修験者一明院が元禄13年(1700年)に末前村・田代村の里人に伝授し、のち郷土黒森神楽、鎮守熊野神社に奉納したことが始まりと伝えられている。平成13年には末前神楽300年祭が盛大に開催され、清剣・御神楽・清祓・山の神の舞が披露された。現在保存会では、子供達への伝承活動を活発に行なっており世代を超えた交流により地域一丸となって活動しています。
畑鹿子踊躍保存会
どのように地区に伝えられたかは不明であるが、功徳のために躍られており現在畑地区住民により各イベントにより披露されている。現在保存会会員9名と少ないながら小さな集落一体となり伝承・保存活動に取り組んでいる。(大念仏剣舞:仏の功徳を目的とし、念仏や経文を唱えながら、採物を持って踊る。鹿子踊躍:無病息災・五穀豊穣を祈願するもので、鹿子頭をいただき踊る、幕張系鹿子踊りである。)開催日時 地区祭、イベント等
摂待七ツ物
天正15年摂待有志により豊作と人々の健康を祈って舞ったのが始まりであり、大阪冬の陣では出陣した郷土兵士達が戦いの合間に摂待七つ物を舞って好評を博したと伝えられている。以後祖先から子孫へと躍り継がれ、現在では地区若者も多数保存会に加入しており各所イベントで披露されている。(道具:先うち・八つはらい・なぎなた・きね・たち・おおぎ・おけかつぎの七つの道具から「七つ物」という名前の由来がきていると思われる。)【開催日時】地区祭、イベント等
鳥谷崎神社
正和2年(1313)再建、鳥谷崎城内に城の鎮守が三社あったものを天文5年(1536)に時の城主(稗貫氏の先祖)がこれを合併し、鳥谷崎座三柱神社と改称した。慶長年間(1600頃)花巻城主北松斎が開戦にあたり本神社に祈願した結果戦勝し、よって社殿を新たに造営し例祭には郡の人々に業を休ませて参拝させ、盛大なる祭典を挙行した。
花巻市
西御門
かつて花巻城本丸の正門といえる西御門は本丸の備えと藩主等の出入口としての役目を有していた。天守櫓を築くことのできなかった花巻城は、古絵図には天主台として西御門を想定し、櫓建物をうかがわせる建築物となっている。花巻開町400年を記念して平成4年度に事業着手し、平成6年度に完成したもの。
清水寺
大同2年(807)坂上田村麻呂の勧請と伝えられおり、京都の清水寺、兵庫鴨川の清水寺と共に日本三清水として古来から広くその名を知られた古刹である。奥羽33観音補陀洛の1番札所。
玉山金山遺跡
玉山金山の歴史は古く、奈良の大仏の鋳造にも、また平泉の中尊寺もこの金山の金を使って建てられたといわれている。規模も大きく、数多くの坑道や町跡、神社が残っている。また、氷上山登山口があり、海、山、川と自然豊かな陸前高田が一望できる。
陸前高田市
同心屋敷
天正19年(1591)九戸の乱のとき、鳥谷崎城の守備にあたった一族の浅野重吉は、配下の一隊30人を残して引き上げ、花巻同心組となり城内二の丸馬場口御門の下馬場(現在の鳥谷崎神社南下辺)に住居を与えられて住んでいた。昭和55年3月に保存のため移築したものであり、藩政時代の曲がり家形式の武家屋敷として、価値の高い江戸時代後期の建築物。市の文化財として指定されている。